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五輪

兎も角も始まった東京オリンピック。いきなりのメダルラッシュに驚きましたが、逆に有名選手の想定外の敗退も相次いでいます。
それにしても、小山田問題はやはり本人の辞退という結末になりました。この問題、あまりに大きくなりすぎて叩くことしか言えなくなっている現状にモヤモヤが消えません。それにデザインあやサ道もなくなり、それどころかメタの方のライブもアルバムリリースまで中止となってしまい、もう行き着くとこまでいってしまいました。
色々言いたい事ありますが、どこまで言うべきかもわかりません。さらにこれについて絶対こうだという見解もまだありません。勿論いじめがいけないことなのは確かです。ただ、どこまでが小山田氏のやったことで、それに対してどういう思いでインタビューしたのか、そこははっきりしておらず、過激な部分のみを取り上げるのは適当ではないと思うのです。勿論、いじめをやっていたことは確かでしょう。ただ、当時のインタビューでは彼は肉体的ないじめは小学校までとしており、高校までやっていたようには読めません。また、一年上の先輩がやったことも小山田氏がやったように思われているので、冷静に分析する必要があると思います。こういうことを言うと擁護すると言われますが、確かにファンだからひいき目に見がちという側面はあるでしょう。ただ、それにしても少し曲解されているように思えて仕方ありません。
それと、小山田氏が極悪非道の人物とされていますが、本当にそうなのか検証すべきと思います。とくに、作品でいえば2000年以降は慈愛に溢れた、穏やかな音楽です。特に直近のアルバム、『メローウェーブ』は悟り切ったような愛と平和の音楽でした。愛と平和といえば、小野洋子とプラスティックオノバンドもやってましたね。何がいいたいかというと、音楽聴いてないと思える方からの全否定が圧倒的に多い気がします。人の心を穏やかにして人を慈しむような音楽を作っていた。しかも、老若男女問わないどころか、国境も超えて世界の人々に届くような音です。つまり音楽という観点では、人類の平和や争い(いじめも含む)を鎮めるようなものを作っているということです。ファンタズマからあの変貌は、人間として成長した彼の姿を象徴しているではないでしょうか。そもそも、彼ができるのは音楽であり、口先や文章で愛と平和を訴えても何の意味もないのです。そういうものをこの20年作ってきているということを、客観的に評価すべきと私は思います。まあ、私はあくまでファンである立場なのですが、彼のことをクソ野郎とか言ってる方がいる限り、いじめも戦争もなくならないでしょう。一番大切なのは、差別や偏見をなくし、争いのない平和な世界を作ることであり、酷いことをした人間を批判は当然にせよ、逆に差別することがあってはならないのだと思います。そのあたり、反論できない(何を言っても叩かれることが想定されるため)彼に対して、あることないことで叩きまくるのがどうも理解できないのです。

どういう状況にせよ、彼が表現するのは音楽であり、そこを閉ざしてはならないと思うのです。サ道もアプリで見てますが、無音に替えられていましたよ。タイアップをやめるのは自由ですが、音楽で評価してほしいですね。

 まあ、渋谷系の文化自体、確かに知らない人を排除し、知ってること者たちが内々で楽しむ音楽のような雰囲気がありました。ただ、そのことと今回は違います。インタビューから何十年も経っていますその間の彼の変化をもっと評価すべきなのでは、と考えてしまいます。こんな事書くとまた批判するする方がいるかもしれません。考えはまとまりませんが、毎日頭の中に、「あなたがいるなら」が流れています。今日はこのあたりで。