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音壁

さすがに書かないわけにはいきません。今日昼休みに知った、フィルスペクターの訃報。もちろん監獄入りであったのは知っていましたが、もう81歳の老人でしたか…。そりゃそうですよね、58年がテディベアーズでデビューしたわけですからね。しかし、当時18歳で№1ヒットを作ったってこと自体すでに伝説ですよ。それでフィレスの設立が61年、21歳!どういう若者ですかね?そりゃもう奇人ですよ。そっからは御存じのとおりのヒット連発。アイドルが凄まじい先進的なサウンドで歌うというのは、近年でいえばきゃりーやベビーメタルみたいなことでしょうか?そういう意味では、現代では中田ヤスタカなんかが一聴してそのサウンドがわかるプロデューサーという意味でスペクターと少し被ってみえますが、彼はスペクターほどの偏執狂ではないでしょうけどね。

 私は彼の名前を知ったのは、ビートルズファンとしてでした。最後のレットイットビーを余計な音を加えて、ひどいアルバムにしたという悪役という印象でした。実際、いろんな本にそんな風に書かれていました。ただ、その後のジョンやジョージのアルバムもプロデュースしていて、それらはあまり悪く書かれていませんよね。あのイマジンだってスペクタープロデュースですからね~。で、ジョージの実質的なファースト『オールシングスマストパス』、これにはまったわけですよ。ビートルズを聴きすぎてソロに移った私は。もう、ほんと最高すぎて、いまでも私の中で5本の指に入るアルバムです。これがあの悪名高いウォールオブサウンドか?と不思議な気分でした。というのは、ジョージの曲にはまりすぎていたからです。特に「ワーワー」という曲は大エコー大会というような究極の1曲。これまで失恋や進学、就職など人生のつらい時はこの曲を聴いて、救われてきましたよ。それで、バングラデッシュコンサートの映画を見たとき、一瞬登場するサングラスの紳士、これがあのスペクターかとすぐわかりました。でもその後、私はビートルズを聴かなくなり、はっぴいえんどのような70年台の音楽へ進みました。そこで大滝詠一師匠に出会い、のめりこむ中でまた出てきたんです。ナイアガラのルーツとしてスペクターの名前が!どうやらスペクターはビートルズ以前にすごい仕事してるらしい・・・と。で、聴こうと思ったのですが、当時は90年代後半で、ネットもCDもない。いろいろ調べる中で、ボックスセットが出ているらしいと知って、タワーで見つけた4枚組の輸入盤ボックスを牛を買う思いで買ったわけです。9千円くらいでしたかね。それから少しづつ単体のCDも出始めました。で、ビーマイベイビーからビーチボーイズが繋がったり、ナイアガラサウンドの元ネタなどいろいろ見えてきたわけです。スペクターの場合は、写真で常にスタジオでもスーツを着てネクタイ締めている姿がこれまた素敵でしたね。あれは影響うけました。だから今も仕事には夏場以外は極力ネクタイしています。

まあそれはさておき、サウンド面では楽団やソロの曲でわかりやすい影響を受けた曲がありますよね?まあ、あんな分厚いものは作れないので曲の雰囲気だけですが。

ともかく、これで大滝さんもスペクターも、もっといえばあの一派のジャックニッチェもハルブレインもレオンラッセルもグレンキャンベルもみんないなくなりました。でもこうした大好きな敬愛する伝説的な音楽家が生きた時代を共有できたことだけでも幸せだと思います。みんな年を取ります。大好きな松たか子も小林旭も同様です。そのうち、ポールが死んだとかディランが死んだとかいう日も来るわけです。その覚悟をしつつ、生きているうちに見れるものは見ておきたいものです。罪を憎んで人を憎まず。ウォールオブサウンドフォーエバー!