2012年09月24日

久々の更新ですが、最近の活動と雑感を書いてみます。

<四葉のクローバーライブin香六ダム>9月15日、25:00~

・セットリスト
1.私の唄
2.竹島を返してよ
3.三矢の訓
4.残尿感
5.かめむしロック(アンコール)
 安芸高田市周辺の15グループが出演した屋外イベント。原則アコースティックで、知っている方知らない方様々なグループが出演されましたが、雨の影響などもあり、当初23:20~の出演が、深夜1時からとなりました。その日まで1週間ほど九州にいたこともあって、さすがに厳しいコンディションでしたが関係者の皆様のお陰で楽しく歌ってきました。 それにアンコールまでいただき(※アルコールは頂いておりません)。深夜でしたが、関係者も含めて30人くらいは聴いていただいたようです。
 久々の安芸高田市高宮町でのライブでしたが、いろいろ考えされられましたね。正直ここにはAMOの音楽は求められていないと感じました。私の知人の方を除いては、唄もMCも反応がいまいち、というか意味が理解されてないようでした。他の出演者の演奏聴いても、これは明らかにAMOは浮いているなと思いました。つまり、とても受けていたり笑いが起こっている出演者を見ても、私には全く面白いと思えなかったのです。これはショックでした。「なんでこれがこんなに面白いのか?」とずっと悩みながら見ていました。
 多分これは笑いの感覚のズレなんでしょうね。私の好きな笑いは談志師匠のような、一瞬相手に考えさせてから「なるほど!」と笑わせるものです。最近の「芸人」のような、意味のない瞬間的なリアクションの笑いは好きではないのです。わかってもらえる人だけにわかってもらえればいいのかもしれません。しかし人間は欲深いので多くの人に認められたい。自分より笑いの多いグループを見て、「これは違う」と思ってしまうことに自分の心の狭さを感じつつ、それでも自分が求めている音楽や笑いの価値観を再認識してしまうのです。
 でも、万人受けしないということがよくわかりました。私の感覚が一般的ではないのです。アウトローを志向しつつ、アウトローであることに満足できない。自分なりのこんな音楽が作りたいという思いだけで、曲がりなりにも10数年AMOをやってきて、何ひとつ状況は変わってないのです。
 一体誰のために音楽を続けているのでしょうか?自己満足だけでしょうか。一般的でないけどもAMOの音楽求めている方はいると信じてやってきましたが、よくわからなくなっています。ただ、音楽を作りたいという欲求だけは今でもあります。というか今回のことで強くなりました。単なる自己顕示欲だけかもしれませんが、それでも「こういう音楽はいないけど何かすごくいいよね」と思ってもらえれば嬉しいですね。言いたいことまだまだあるのですがこの辺で。悩みは尽きません。

<「蓄音器で聴くなつかしの歌謡史」>9月21日、13:30~15:00、向原公民館
 AMO名義ではなく、副業名義でしたが、高齢者大学での講演。100人近く来ていただきました。レコードと蓄音器の歴史をざっとお話してあとは戦前のSPレコードをたくさんかけました。60~80代の会ですが、とても皆さんのノリがよく、多くの曲でチリチリとノイズの鳴る懐メロに合唱状態。バタヤンの「大利根月夜」がこんなにうけるとは思いませんでした。唄というのは不思議なもので、何十年も聴いていなくても、曲が流れると皆さん不思議と歌詞が出てくるんですよね。これは唄の持つ魅力というか、魔力です。そしてその頃の思い出も・・・。
 レコード歌謡史についてはどうしても昭和30年代以降のEP,LP時代が中心となります。しかし、最近戦前のSP盤のCD復刻が盛んなってきてますので、改めてもう少し勉強しておきたいですね。