2012年04月24日

<風邪が治ってきたので、毒も吐き出します> 
 ご無沙汰しておりました。もう少し早く更新したかったのですが、疲労から風邪をひいてしまい、一週間ほど遅れました。お陰様でようやく体調も戻ってまいりました。

 先般は、後輩の結婚式の披露宴で唄ってきましたが、飲んで唄うのは気持ちがいいものですね。決して上手く唄えるはずはありません。しかし、楽しいのが一番ですよ。AMOのような素人の世界では、上手い下手を超えたところで勝負してるわけで、ギターの音ががどうのこうのも関係ないのです。もちろん音楽は人一倍聴いてきたつもりです。しかし、なかなか趣味の合う人には出会えません。となると、そういう背景を持った上で、如何にだれでもわかるし楽しめる一方だれも作らない曲を出せるかなんです。だからなかなか進まないのです。
 今はプロでもアマでも簡単な愛だの恋だの友情だの美しいだのといい人ぶった歌が蔓延していて、うんざりしているのです。「いつでもそばにいるよ」とか「君を守っていくよ」とかいうベタな唄が売れて、それがたくさんつくられていく状況に嫌気がさしています。それって、その人の特定の好きな人に対しての気持ちであって、他者全てに対するものじゃないでしょ?要は、独善的な愛情をよく人の前でのうのうと宣言できるなと関心するわけです。いい人ぶるな!といいたいです。だったら自分はもっとしょうもない奴だと私は唄うべきだと思うのです。いやなことや面倒なことが多い世の「憂鬱を唄っていたい」(「私の三十路」)のです。
 不謹慎かもしれませんが、震災後、「上を向いて歩こう」がやたら唄われたり、「絆」って言葉がやたら何かにつけられたりする状況もうんざりします。そんなにみんな単純なんですかね?下を向いて歩いてもいいじゃないですか?絆って言ってる割にみんなアパートの隣人の名前も知らない人が多いんじゃないですか?それが悪いとかじゃなく、もっと上辺の奇麗事ばかり言わずに現実見てみろと思うのです。(それで、「下を向いて歩こう」などという曲を作ったりもしてます。)
 まあこんなことはAMOのHPだから書けるのです。一方でツイッターやfacebookは他者に自分から投げかけるものです。だからそれなりの配慮もいります。facebookについては始めて1年近くたってみて長所短所みえてきました。まだ定着していない現在、みんな使い方がまだ手探りなんですけど、正直上辺だけの愛やら思いやりやら義理やら面子が見え隠れし不愉快になることがあります。でも実名なんで人間関係壊したくないので、批判的なことは言えません。前後関係が説明なく思いだけ述べるものもよくあります。こっちは何のことやらわからない。吠えたいだけなら、個人のブログでやってほしいものです。そもそも価値観違うもの同士が友達申請という手続きで共感できるんでしょうかね?相手の状況はよくわからないけどとりあえず「いいね!」押して、表面的にに慰めたり励ましたり、無理してませんか?それこそ上辺だけの「絆」のように見えます。歪んだ人間関係ができているようです。

 なんて今日は久々に毒を吐いてみました。勿論facebookも便利なところたくさんありますよ。ただ、みんなどんどん安っぽい人間関係になってしまっている気がしてなりません。「いいね」の数も、コメントの多さもその人の魅力だと言い切れない「何か」を感じている今日この頃です。

 さて、近日中にAMOとしてあらたなイベント出演の発表をします。乞うご期待!!